子供を産むということ、甘くなかった出産。産後うつ、育児ノイローゼを乗り越えて。

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こんにちは。
アールのイメージクリエイター上野理恵です。

 

今日は私の出産と仕事について書きたいと思います。

 

出産後すぐの仕事事情

 

私は1人で仕事始めてから、約6年になります。

 

 

と、言っても、娘が小さいうちは、
なかなか思うように動けないことの方が多かったです。

 

現在は生まれ育った地元に夫と娘と住んでいますが、
高校卒業して地元をずっと離れていた私は、
出産も最初の子育ても大阪市内でした。

 

お義母さんはフルでお仕事してる人だったし、
実母は当時は末期ガンだった父の世話で、
なかなか来てもらえる状態ではありませんでした。
なので、里帰り分娩もしませんでした。
何よりも実母と2日以上いてると険悪になるし(笑)

 

娘が昼寝している時間や、
夜寝静まった後に、WEBの仕事をしたり、
アクセサリーの製作をしていました。

 

でも、子供なんてこっちの思い通りに動いてくれるわけもなく、
なかなか集中して仕事に打ち込めませんでした。

 

勤めていた会社の事業部はなくなったから戻る場所もない。
ということは、大阪市北区の保育園なんて簡単に入れない。
たまに一時保育に預けてはいましたが、
金額も高く、頻繁には無理でした。

 

何よりも、出産後、体調を崩していた私は、
精神、身体共にとても不安定だったので、
社会から取り残されたあの孤独感に耐えられませんでした。

 

仕事が生きがいのような私でしたが、
本当は、両親、特に母に認めてもらいたかったんだろうな、と
今ではとても分かります。

 

予想外の体へのダメージ

 

 

出産前までバリバリと、
しかも好きな仕事をしていた私は、
初めての出産で切迫早産、妊娠高血圧で寝たきりになり、
自分の体が予想以上にボロボロなのに、
自宅でほぼ一人で授乳や寝かしつけ。
気分のいい時は可愛く見える赤ちゃんも、
気持ちが苦しくなった時には、
自分に着けられた、ただの足枷にしか感じませんでした。

 

夫は仕事も忙しく、早くは帰ってこれませんでした。

 

残業が続く日も多く、私が娘と寝てしまっている日には、
私は誰とも話すことなく1日を終える日も多かったように思います。

 

そんな中でも、夫は遅くに帰ってきてから洗濯してくれたり、
慣れないご飯を作ってくれたりと、一生懸命でした。
今でも心から感謝しています。
夫がいなければ、私は自殺していたと思います。
体調が悪く、動き回れなかったのが幸いだったかもしれません。

 

自分を責める毎日

 

それでも孤独感と疎外感、無価値観に苛まれ、
想像以上にしんどい子育てに、

 

『死にたい、なんで私子供産んだん?』

『やっぱり私には子育てなんて無理やったんや』

『私は我が子を愛せない最低な母親だ』

 

と、以前のうつ状態が一気に戻ってきた感覚でした。

 

 

毎日死にたい思いに囚われ、
泣いてる娘を見てはヒステリーを起こし、
怒鳴っては罪悪感に押しつぶされそうになり、
娘を抱きしめて

 

『ごめんね、こんな母親で・・・』

 

と泣いてばかり。

 

 

親しい友達も近くにいない。
両親はガンのことで大変。
お義母さんも仕事で大変だし・・・

 

誰にも弱音を吐けませんでした。

 

ううん、事情がなくても、相談できなかったと思います。

 

夫が頼った先は・・・

 

子供を授かるまでは、
子供を産めば、当たり前に母になり、
愛せるものだと思ってるところもありました。

 

『母親のくせに、子供を愛せないなんて・・・』

 

唯一、夫には感情をぶつけたりもしていましたが、
言ってることが支離滅裂なうえに、
疲れて帰ってきて、子供なんて産むんじゃなかった!とか聞けば、
誰でも疲弊するのは当たり前だと思います。
夫も相当疲れていたと思います。

 

 

それでも、いつも向き合ってくれていた夫は、
大阪市の保健福祉センターに相談していました。
一時保育でもいいから、なんとか妻の負担を減らしたい、と。

 

ある日、保健師さん2人が訪ねてきました。
1人は私と旦那の普段の様子を聞いてきました。

もう一人は、

『よしよし、おばちゃんがおむつ替えてあげるね~』

と言いながら、替えていましたが、

(ああ、ああやって体中チェックして虐待してないか見るんだな。)

 

とちょっと嫌な気持ちにはなりましたが、
とても優しい保健師さんたちで、
私の状況を親身になって聞いてくれた記憶があります。

 

そして、ママ友さん作ろうよ、とか、
近くの支援センターで母子交流会あるから、
お母さんも一緒に行ってみましょう、とか、
いろいろ勧めてくれましたが、
一応付き合ってはみたものの、
ママ友を新しく作ることはしませんでした。

 

そんな気力もなかったのが正直な気持ちです。

 

でも、保健師さんの紹介で、
週に2回だけ、一時保育を快く受けてくださった保育園がありました。

 

後日知りましたが、
その保育園の園長と、

地元に戻ってから通っていた保育園の園長はよく知った間柄だったみたいです。
世間って本当に狭いなあ・・・。

 

一時保育に預けだして、
やっと自分一人の時間ができ、
少しずつ少しずつ心も安定してきました。

 

心に余裕を持てて気が付いたこと

 

私に足りなかったのは、

『人に甘えるということ』

でした。

 

きっと忙しいかもしれない、
きっと迷惑かもしれない、
きっと断られるに決まってる、

 

断られるのが怖くて、
ちゃんと母親出来てないと思われたくなくて、
批判、否定されるのが怖くて、
私は強いって思われてるんだから、

そんなことが頭の中をグルグル回っていました。

 

 

身内でも他人でも、
しんどい時は本気で頼ることをする、
私が一番苦手なことでした。

 

 

こうやって他人に助けてもらい、
私は1人じゃないと思える経験が増えていき、
どん底の精神状態から少し浮上したところで、
次は父がガンで亡くなりました。

 

父のことはまた改めて触れますが、
一緒に病院へ行ったり、
ガンのことを散々調べて担当医と一緒に戦った、
そんな感じだったので、悲壮感はありませんでした。

 

もちろん、今でもいてくれたら・・・と思うことはたくさんあります。

 

この父の死がキッカケとなり、
私は約20年ぶりに地元に帰ることになります。

 

一人で抱え込まないでほしい

 

今もまだ子供のことで苦しく思うこともあります。
でも、悩んで、泣いて、頭を打っても、
今は胸を張って言えることがあります。

 

それは、同じ状態は一生続かないということ。

 

出産後数年は、長い、長い、出口のない、
真っ暗闇のトンネルを一人でさまよっている感覚でした。

 

私よりもっと大変な人がいる、
あんたより孤独な子育てしてる人いる、

 

そうかもしれません。

 

何を言いたいのかというと、
しんどさ、辛さなんて人にはわからないんです。
思いを馳せることはできても、
本当に理解なんてできません。

 

でも、寄り添うことはできるんじゃないかって思ってます。

 

日本の母親神話で弱音を吐けないママ。
これくらいのことで子育てしんどいって言ったらいけないんじゃないか?
子供を愛せてないって批判されるんじゃないか?
そんな思いで辛い感情を押し込めていても、
私みたいに行き場をなくすだけ、
私みたいに死にたくなるだけ。

 

自殺したり、悪意を子供に向けてしまう前に、
誰かに吐き出してみてほしい。

 

 

 

私はなかなかできなかったけれど・・・。

 

それでも、ここまできました。
娘は6歳。
私も母親歴、まだ6年。

 

まだまだ娘ともいろいろあるでしょう。
でも、死ぬときに笑える人生にしたいと思っています。

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上野理恵(うえのりえ) ブランドR(アール)代表兼デザイナー 元美容師 / 元服飾デザイナー ハダカの自分で生きることがテーマ。 アクセサリーやデザイン、仕事術などいろいろ書き綴っています。平和主義。

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